鬱だしピンピンコロリなんて贅沢は言わない
「隣の芝生は青い」ということわざがありますね。
ジムでの体験に置き換えるとこんなかんじでしょうか。
「隣のランニングマシンのテレビに映ってる番組は面白そうに見える」
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体調が悪く、2週間ほどジムに行けなかった。
ジムどころか毎日パニック発作が出ていた。
パニック発作が出ているときは「ああ、わたしはこれでしぬんだな」という確信がある。生きたここちなどしない。
パニックと連動しておこるのが呼吸・睡眠・食欲の不具合です。
パニック発作のときは呼吸ができない。
海にもぐって息を止めているようなかんじなので、酸素ボンベがほしくなります。
もともと不眠症で薬を飲んでいるんだが、それも悪化です。一睡もできず、薬も倍のまないといけなくなった。
食べ物もとにかく喉をとおらない。食べても吐き気で苦しいだけだ。しかしカロリーメイトなら食べられる。おうちにストックしておいてよかった、カロリーメイト!カロリーメイトさんありがとう!
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今 私の 願いごとが 叶うならば
健 康 が 欲 し い
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かといって、
「呼吸・睡眠・食さえふつーに、ほんとふつーレベルでいいから、ふつーにそのみっつができさえすれば、人生それでいいじゃない!」
って悟れるほどに、私は人間ができていない。
体調不良で横になっているとき、頭に去来するのは、自責の念と自虐の感情ばかりだ。
なんで私は何も(そう、な・ん・に・も!)うまくやれないんだろう。
どうして何をやってもうまくいかないんだろう。
何が悪かったんだろう。
14歳の頃から感じてきた生きているということに対する居心地の悪さなんか、大人になったら消えるんだと思ってた。
14歳の頃の自分に謝りたい。
40歳の中年になっても、人生に対して感じる違和感なんか消えやしないよ、ごめんね!
きっと、ずっと、このままなんだ。
違和感バリバリのまま歳をとりつづけ、生きることに違和感のある初老になり、生きることに違和感のある老人になり、生きていることに違和感のあるまま、死ぬ。
ピンピンコロリなんて贅沢は言わない。
せめて生きることに違和感のある寝たきり要介護人になることを避け、ただの生きることに違和感のある老人になるために、私はジムにかよっている。
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明日は腫瘍の経過観察のため病院だ。
このブログは腫瘍発見記念として開設したのですが、もう一年経過した。