内膜症だがトラウマを語ることの弊害についてガラスの破片から学んでみた

PTSDゆえ、日々をの生活を気を付けてすごさないと寝ているとき激しくうなされてしまいます。

PTSDってしまわないようにどう気を付けるかというと方法はいろいろあるわけだがここでは省略。

 

昨夜うなされ、いつもどおり私は夢の中で敵と闘っていました。

 

夢の中の敵相手に繰り出された私の蹴りは布団の傍にある机にクリティカルヒット。のっていたティーポットとグラスとタンブラーが落下して割れてしまいました。

 

とても悲しいです……頂き物のかわいいティーポットを割ってしまいました……。

 

とりあえず大きいかけらをひろってからガムテープで床のガラスの破片を取り除いたのですが、何枚テープをつかおうとガラスのちっちゃな破片が際限なく出てきます。

家具の下にもいくつもの細かい破片が隠れていますし、70cmの高さの机の天板もずれ、ガラスの破片が机の上にまで載っていました(全部私のせいですが)。

 

破片を除去しながら、これは心が傷ついた様子と同じなのではと思いました。

 

心にトラウマ級の傷がある人は病院やカウンセリングに通って、心に残った大きな傷をケアするわけです。ただ、ケアできるのは当人が意識している、いわば目に見える大きなガラス破片のような傷だけです。

 

心に傷をうけると、実際には自分では意識していない微細なガラスの粒がそこらじゅうに飛び散ったままになっているのと同じ状態です。その細かい傷に手や足が不用意に触れた瞬間、PTSDが発動する。そういう仕組みだと思います。

 

細かいガラスの屑って、取り除こうとする行為そのものが体を傷つけるじゃないですか。PTSD治療は、ですから治療そのものがオーバーに言うと命がけなところがあります。

 

そのため、私は精神科医や心理職の方以外に自分のトラウマを打ち明けることはしません。精神科医や心理職などのプロの方がたはちょっと危険なガラスの破片であっても、自らの心身を傷つけることなく対処する方法を学んでらっしゃいます。

 

しかしそうではない一般の方が素手で微細なガラスの屑に触って(つまりトラウマばなしを聞かされて)怪我をしないわけがないのです。

 

加えて、語るという行為は、語っている側の私を攻撃するものでもあります。どんなに気を付けていても今まで自分でもきづいてなかった、隠れていたガラスの屑が肌に刺さって、痛い。下手をするとけっこうぐっさり傷がついてしまうこともあります。

 

語るたびにちくちくぐさぐさ流血していたのでは心身がもちませんからね。語るのは原則治療目的のためのみがよろしいのではと考えます。

 

 

余談

頂いた大切な大切なティーポットが割れてしまって(というか割ってしまって)、とても悲しいです。うう……下さったかたごめんなさい。犠牲になってくれたティーポットちゃんごめんなさい。

 

 

さらに余談

戦争記念日など近づくと、戦争の記憶や原爆の記憶語ってくださるご老人、沢山テレビで放送されるでしょ。最近では3.11の災害のときどうだったかを語ってくださる方なんかも放送されますよね。

 

個人的な意見ですが、あれって語ってくださる方に対してものすごく残酷なことをしているのでは。

 

ああいう番組の制作者さんたちは戦争の語り部さんや3.11の被害者の方には、本当にあったこと、ご自身が体験なさったことを証言してほしい、って思ってらっしゃるのかもしれませんが、私は逆であればいいなといつも思っています。ご自身の体験じゃなく、どこかからまた聞きした情報をゴーストライターに書き起こしてもらった原稿を語っていてくださったら安心なのですが。

 

どなたのPTSDもぶりかえしませんように。